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聖浄二門

平成13年

〔題意〕

聖浄二門の意を窺い、聖道門によらずに浄土門によるべき旨を明らかにする。

〔出拠〕

 『安楽集』第三大門に

「問ふて曰く、一切衆生皆仏性有り。遠劫より以来応に多仏に値ふべし、何に因てか今に至るまで仍を自ら生死に輪回して火宅を出ざるや。答えて曰はく。大乗の聖教に依る良に二種の勝法を得て以て生死を排はざるに由ってなり。是を以て火宅を出ず。何者をか二と為る。一には謂はく聖道、二には謂はく往生浄土なり。其の聖道の一種は今の時証し難し。一には大聖を去ること遥遠なるに由る。二には理深く解微なるに由る。」(真聖全一、四一〇)
とあり、『選択集』二門章にこの文が引用され、その意が継承されている。 宗祖は『教行信証』「化土巻」に
「凡そ一代の教に就いて、此界の中にして入聖得果するを聖道門と名づく。難行道と云へり。此の門の中に就いて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・蜜、竪出・竪超有り。則ち是れ自力、利他教化地、方便権門之道路也。安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく。易行道と云へり。此の門の中に就いて、横出・横超、仮・真・漸・頓、助正・雑行、雑修・専修有り。」(真聖全二、一五三)
とある。

〔釈名〕

 「聖道」とは、聖入所修の教えである此土入聖の法門、「浄土」とは往生浄土の法門であり、末法五濁の為凡の教である彼土得証の法門である。
 「二門」とは、聖道門と浄土門の二門のことである。「門」とは門別の義と、通人の義がある。それ故何れも如説に修行すれば、仏果に到ることが出来る。

〔義相〕

@聖道門に依らず、浄土門に依る理由

『安楽集』第三大門に示される二由一証に示されるように、末法五濁の凡夫には、浄土門が通入すべき唯一つの道である。

A聖浄二門の難易と勝劣

 法然上人においては、浄土門の念仏に勝易の二徳が出され、念仏の法こそ、この私には最勝至易の法とされている。

B聖道の慈悲と浄土の慈悲

 聖道の慈悲は自らの実践によるが、浄土の慈悲は仏の大悲を領受せるもので、自らにおいては「いかにいとほし不便とおもふとも」とあり、この不完全の自覚こそ汝の人格を是認する開かれた実践の根底なるものを与えられるのである。

C聖道得道と聖道無得道

 聖道教を軽んずるものではないが、私にとっては浄土門の得道しかないという立場が、宗祖・蓮師の立場である。

以 上


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