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三法四法

平成15年

〔題意〕

  三法四法の開合の相状を検討し、行中摂信及び信別開の意義を明らかにする。

〔出拠〕

『本典』題号には

顕浄土真実教行証文類
 とあり、「教文類」真宗大綱の文には、
就往相回向有真実教行信証。
往相の回向について真実の教行信証あり。
 とある。

〔釈名〕

 「三法」とは教・行・証であり、「四法」とは、教・行・信・証である。
 教とは、聖人下に被らしむるの言であり、法然上人は『選択集』に正明往生浄土の教として三経一論を示され、宗祖は『本典』に真実教として『大経』を示される。
 行とは造作・進趣を義とし、法然上人は念仏為本と示され、宗祖は衆生の念仏として常に法界に流行している法体名号として明かされる。
 信は法然上人においては『観経』の三心を中心に示されるが、宗祖は疑蓋無雑の信楽一心と的示される。
 証とは法然聖人においては往生と語られ、宗祖は証験と示されて此土における行信の因が彼土において果として顕現した無上涅槃の極果として明かされる。

〔義相〕

 釈名に示したように、教・行・信・証それぞれについて、法然上人と宗祖とに所顕の相異は見られるが、本論題においては特に行信の開合を中心に論じる。
 法然上人は三経一論を所依として念仏往生の法義を闡揚されるが、『選択集』三心章には信疑決判を示され、その念仏とは無信単行の念仏ではなく、具信の念仏であることをあらわされる。
 宗祖は『本典』の構成を四法門であらわされるが、これは法然上人の念仏往生の真義を開顕されるものである。すなわち、法然上人は外聖道門に対して浄土門独立を意図し、行行廃立して本願念仏法という法の超勝性を明確にされるのであるが、その本願念仏とは他力の念仏であり、その他力たる所以は信にある。よって宗祖は称功を廃し唯信独達の意義を明確にし信心正因を示すために機受の極要たる信を別開されるのである。
 第十八順における三心・十念すなわち信心と念仏とは機受の全相をあらわし、ともに名号願力の活動相にほかならない。宗祖は、衆生を信ぜしめ、念仏せしめ、往生成仏せしめる法体名号を「行文類」に大行とあらわされ、その法体名号を衆生が領受する極要を大信として「信文類」にあらわされる。このように、『本典』の構成は信が別開された教・行・信・証の四法門であるが、一方、『本典』題号や『略典』の構成は、信を行におさめた教・行・証の三法門となっている。
 三法門は、聖道自力の三法が釈尊滅後次第に衰滅するのに対し、浄土他力の三法が在世正法・像末法滅ひとしくはたらくことをあらわしている。また、第十八願法そのものとしては、信を行におさめることによって行と証とが直接し、名号願力の独用によって証果の開かれることがあらわされる。
 四法門は要門・真門の自力往生法に区別した弘願他力法の特性があらわされる。すなわち、特に真門法と弘願法とはともに念仏を行とし、至心・回向・欲生という真門の三心各別の信と三心即一の信楽一心という弘願の信とを示さなければその区別がつかない。ちなみに、要門法は至心・発願・欲生の信を示さなければ聖道法との区別がつかないということも付言しておく。また、弘願法そのものとしては、信を別開することによって信と証とが直接し、信心ひとつが往生成仏の正因たることがあらわされるのである。


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