念仏の元祖、黒谷聖人(法然房源空聖人)の語録です。問答を内容別に分類させていただきました。
表は、左から、問答の原文何条目かを示し、次に本文、『真宗聖教全書4』(大八木興文堂)のページ数、昭和新修『法然聖人全集』(平楽寺書店)のページ数です。ところどころに註を入れておりますが、理解が間違っておりましたらどうぞご指摘ください。あくまでも釈正尊の個人ノートですので、ご引用の際は自己責任でお願いいたします。
条 | 本文 | 真聖全 | 法然全 |
3 | 一。この真如観はし候べき事にて候か。 答。これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也。おほかた真如観をば、われら衆生は、えせぬ事にて候ぞ、往生のためにもおもはれぬことにて候へば、無益に候。 |
646 | 648 |
4 | 一。又これに計算して候ところは、何事もむなしと観ぜよと申て候。空観と申候は、これにて候な。されば観じ候べきやうは、たとへばこの世のことを執着して思ふまじきとおしへて候と見へて候へば、おほやう御らんのためにまいらせ候。 答。これはみな理観とてかなはぬ事にて候也。僧のとしごろならひたるだにもえせず、まして女房なんどの、つやつや案内もしらざらんは、いかにもかなふまじく候也。御たづねまでも無益に候。 |
646 | 648 |
7 | 一。心を一つにして心よくなをり候はずとも、何事をおこなひ候はずとも、念仏ばかりにて、浄土へはまいり候べきか。 | 647 | 649 |
答。心のみだるるは、これ凡夫の習ひにて、ちからおよばぬ事にて候。ただ心を一にして、よく御念仏せさせ給ひ候はば、そのつみを滅して、往生せさせ給ふべき也。その妄念よりもおもきつみも、念仏だにし候へば、うせ候也。 | 647 | 649 | |
69 | 一。心に妄念のいかにも思はれ候は、いかがし候べき。 | 658 | 658 |
答。ただよくよく念仏を申させ給へ。 | 658 | 658 | |
104 | 一。念仏を申候に、はらのたつ心のさまざまに候。いかがし候べき。 | 663 | 662 |
答。散乱の心、よにわろき事にて候。かまへて一心に申させ給へ。 | 663 | 662 | |
66 | 一。臨終に、善知識にあひ候はずとも、日ごろの念仏にて往生はし候べきか。 | 657 | 657 |
答。善知識にあはずとも、臨終おもふ様ならずとも、念仏申さば往生すべし。 | 657 | 657 |
145 | 一。つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。 答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当時のわれらは、みなそれにはそむきたる身どもなれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候也。御心え候へ。 |
670 | 668 |
65 | 一。五逆・十悪、一念・十念にほろび候か。 答。うたがひなく候。 |
657 | 657 |
67 | 一。誹謗正法は、五逆のつみにおほくまさりと申候は、ま事にて候か。 答。これはいと人のせぬ事にて候。 |
657 | 657 |
11 | 一。念仏の百万遍、百度申してかならず往生すと申て候に、いのちみじかくてはいかがし候べき。 答。これもひが事に候。百度申てもし候、十念申てもし候、又一念にてもし候。 |
648 | 649 |
13 | 一。日所作は、かならずかずをきはめ候はずとも、よまれんにしたがひてよみ、念仏も申候べきか。 答。かずをさだめ候はねば、懈怠になり候へば、かずをさだめたるがよき事にて候。 |
648 | 649 |
18 | 一。念仏をば、日所作にいくらばかりあててか、申候べき。 答。念仏のかずは、一万遍をはじめにて、二万・三万・五万・六万、乃至十万まで申候也。このなかに御心にまかせておぼしめし候はん程を、申させおはしますべし。 |
649 | 650 |
143 | 毎日の所作に、六万・十万の数遍を、ずすをくりて申候はんと、二万三万をずすをたしかにひとつづつ申候はんと、いづれかよく候べき。 答。凡夫のならひ、二万・三万あつとも、如法にはかなひがたからん。ただ数遍のおほからんにはすぐべからず。名号を相続せんため也。かならずしもかずを要とするにはあらず、ただつねに念仏せんがためなり。かずをさだめぬは懈怠の因縁なれば、数遍をすすむるにて候。 |
670 | 668 |
12 | 一。『阿弥陀経』十万巻よみ候べしと申て候は、いかに。 答。これもよみつべからんにとりての事に候。ただつとめをたかくつみ候はんれうにて候。 |
648 | 650 |
19 | 一。『阿弥陀経』をば、一日になん巻ばかりあててか、よみ候べき。 答。「阿弥陀経は、ちかひて一生中に、十万巻をだにもよみまいらせ候ぬれば、決定して往生す」と、善導和尚(観念法門意)のおほせられて候也。毎日に十五巻づつよめば、二十年に十万巻にみち候也。三十巻づつよめば、十年にみち候也。 |
649 | 651 |
32 | 一。ほとけに具する経を、とりはなちて人にもたぶは、つみにて候か。 答。ひろむるは功徳にて候。 |
653 | 653 |
33 | 一。一部とある経、一巻づつとりはなちてよまんは、つみにて候か。 答。つみにても候はず。 |
653 | 653 |
47 | 一。経をば、僧にうけ候べきか。 答。われとよみつべくば、僧にうけずとも。 |
655 | 655 |
93 | 一。物まうでして、経を回向すべきに、経をばよまで、念仏を回向する、くるしからずと申候は、いかに。 答。くるしからず。 |
661 | 660 |
113 | 一。魚鳥くひては、いかけして、経はよみ候べきか。 答。いかけしてよむ本体にて候。せでよむは、功徳と罪と、ともに候。ただしいかけせでも、よまぬよりは、よむはよく候。 |
664 | 663 |
114 | 一。妻おとこ一つにて、経よみ候はん事、いかけし候べきか。 答。これもおなじ事、本体はいかけしてよむべく候。念仏はせでもくるしからず、経はいかけしてよみ候べし。毎日によみ候とも。 |
664 | 663 |
113、114
いかけ=「い」強調の接頭。「掛け」声に出す。
27 | 一。ながく生死をはなれ、三界にむまれじとおもひ候に、極楽の衆生となりても、又その縁つきぬれば、この世にむまるると申候は、ま事にて候か、たとひ国王ともなり、天上にもむまれよ、ただ三界をわかれんとおもひ候に、いかにつとめおこなひてか、返り候はざるべき。 答。これもろもろのひが事にて候。極楽へひとたびむまれ候ぬれば、ながくこの世に返る事候はず、みなほとけになる事にて候也。ただし人をみちびかんためには、ことさらに返る事も候。されども生死にめぐる人にては候はず。三界をはなれ、極楽に往生するには、念仏にすぎたる事は候はぬ也。よくよく御念仏候べき也。 |
651 | 652 |
5 | 一。この七仏の名号となふべき様とて、人のたびて候ままに信じ候へば、つみはうせ候べきか。なに事もそれよりおほせ候御事は、たのもしく候ひて、かやうに申候。 答。これさなくとも候なん。念仏にこれらのつみのうせ候まじくはこそ候はめ。 |
647 | 648 |
63 | 一。錫杖はかならず誦すべきか。 答。さなくとも、そのいとまに念仏一遍も申べし。あま法師こそありく時、むしのために誦し候へ。 |
657 | 657 |
129 | 一。仏に花まいらする誦文十波羅密往生すと申て候。御らんのためにまいらせ候。 答。これせんなし、念仏を申させ給へ。 |
667 | 665 |
144 | 一。真言の阿弥陀の供養法は、正行にて候べきか。 答。仏体は一つにはにたれども、その心不同なり。真言教の弥陀は、これ己心の如来、ほかをたづぬべからず。この教の弥陀は、これ法蔵比丘の成仏也。西方におはしますゆへに、その心おほきにことなり。 |
670 | 668 |
8 | 一。経の陀羅尼は、潅頂の僧にうけ候べきか。 答。『法華経』のはくるしからず、潅頂の僧のうけさする陀羅尼は別の事、それはおぼしめしよるな。 |
647 | 649 |
9 | 一。『普賢経』(観普賢菩薩行法経意)に、「ほとけの母を念ずべし」と申候は。 答。いざおぼへず。 |
647 | 649 |
5
たびて……たぶ。「賜ぶ」「給ぶ」。与ふ、やる、くるの尊敬語。くださる。お与えになる。
68 | 一。死て候はんもののかみは、そり候べきか。 答。かならずさるまじ。 |
657 | 657 |
20 | 一。五色のいとは、ほとけには、ひだりにとおほせ候き。わがてには、いづれのかたにていかがひき候べき。 答。左右の手にてひかせ給ふべし。 |
650 | 651 |
24 | 一。臨終のおり、阿弥陀の定印なんどをならひて、ひかへ候やらん。たださ候はずとも、左右の手にてひかへ候やらん。 答。かならず定印をむすぶべきにて候はず、ただ合掌を本体にて、そのなかにひかへられ候べし。 |
651 | 652 |
25 | 一。ちかくてかならずしも見まいらせ候はねども、とをらかにてひかへ候やらん。 答。とをくも、ちかくも、便宜によるべく候。いかなるもくるしみ候はず。 |
651 | 652 |
26 | 一。かならずほとけを見、いとをひかへ候はずとも、われ申さずとも、人の申さん念仏をききても、死候はば浄土には往生し候べきやらん。 答。かならずいとをひくといふ事候はず、ほとけにむかひまいらせねども、念仏だにもすれば往生し候也。又ききてもし候、それはよくよく信心ふかくての事に候。 |
651 | 652 |
66 | 一。臨終に、善知識にあひ候はずとも、日ごろの念仏にて往生はし候べきか。 答。善知識にあはずとも、臨終おもふ様ならずとも、念仏申さば往生すべし。 |
657 | 657 |
70 | 一。わがれうの、臨終の物の具、まづ人にかし候は、いかが候べき。 答。くるしからず。 |
658 | 658 |
71 | 一。五色のいとうむ事。 答。おさなきものに、うます。 |
658 | 658 |
103 | 一。五色のいとを、あまたにきりて人にたまはんは、いかが候べき。 答。きるべからず。 |
663 | 662 |
126 | 一。没後の仏経しをく事は、一定すべく候か。 答。一定にて候、すべく候。 |
666 | 665 |
99 | 一。三年おがみの事、し候べきか。 答。さらずとも候なん。 |
662 | 661 |
1 | 一。ふるき堂塔を修理して候はんをば、供養し候べきか。 答。かならず供養すべしといふ事も候はず、又供養して候はんも、あしき事にも候はず、功徳にて候へば、又供養せねばとてつみのえ、あしき事にては候はず。 |
645 | 647 |
2 | 一。ほとけの開眼と供養とは、一つ事にて候か。 答。開眼と供養とは、別の事にて候べきを、おなじ事にしあひて候也。開眼と申すは、本体は仏師がまなこをいれひらきまいらせ候を申候也。これをば事の開眼と申候也。つぎに僧の仏眼の真言をもて、まなこをひらき、大日の真言をもて、ほとけの一切の功徳を成就し候をば、理の開眼と申候也。つぎに供養といふは、ほとけに花香・仏供・御あかしなんどをもまいらせ、さらぬたからをもまいらせ候を供養とは申候也。 |
646 | 648 |
29 | 一。仏の薄をおして、又供養し候か。 答。さ候はずとも。 |
652 | 653 |
31 | 一。巻経を草子にたたむは、罪と申候はいかが候べき。 答。つみえぬ事にて候。 |
||
34 | 一。ほとけに厨子をさしてすゑまいらせては、供養すべく候か。 答。一切あるまじ。 |
653 | |
37 | 一。仏ににかはを具し候がきたなく候。いかがし候べき。 答。まことにきたなけれども、具せではかなふまじければ。 |
654 | |
41 | 一。人のまほりをえて候はんは、供養し候べきか。 答。せずともくるしからず。 |
654 | |
43 | 一。経をして供養せずとも、くるしからず候か。 答。ただよむ。 |
655 | |
44 | 一。経千部よみては、供養し候べきか。 答。さも候まじ。 |
||
45 | 一。懺悔の事、幡や花鬘なんどかざり候べきか。 答。さらでも、ただ一心ぞ大切に候。 |
||
46 | 一。花香をほとけにまいらせ候事。 答。あか月は供養法にかならずまいらせ候。ただははなかめにさし、ちらしても供養すべし。香はかならずたくべし、便あしくはなくとも。 |
654 | 655 |
60 | 一。仏つくりて、経はかならず具し候べきか。 答。かならず具すべしとも候はず、又具してもよし。 |
656 | 656 |
61 | 一。功徳は身のたふるほどと申候は、ま事にて候か。 答。沙汰におよび候はず、ちからのたふるほど。 |
656 | 657 |
62 | 一。経と仏と、かならず一度にすゑ候か。 答。さも候はず、ひとつづつも。 |
657 | 657 |
129 | 一。仏に花まいらする誦文十波羅密往生すと申て候。御らんのためにまいらせ候。 答。これせんなし、念仏を申させ給へ。 |
667 | 665 |
137 | 一。ずずには、さくら・くりいむと申候は、いかに。 答。さる事候はず。 |
668 | 666 |
141 | 家のうちのもののしたしき・うときをきらはず、往生のためとおもひて、くひ物・き物た(ま)はんは、仏に供養せんとおなじ事にて候か。 答。したしき・うときをえらばず、往生のためとおぼしめして、物たびおはしまさん、めでたき功徳にて候。御つかひによくよく申候ぬ。 |
669 | 667 |
142 | 一。破戒の僧、愚癡の僧、供奉せんも功徳にて候か。 答。破戒の僧、愚癡の僧を、すゑの世には、仏のごとくたとむべきにて候也。この御つかひに申候ぬ、きこしめし候へ。 |
669 | 667 |
144 | 一。真言の阿弥陀の供養法は、正行にて候べきか。 答。仏体は一つにはにたれども、その心不同なり。真言教の弥陀は、これ己心の如来、ほかをたづぬべからず。この教の弥陀は、これ法蔵比丘の成仏也。西方におはしますゆへに、その心おほきにことなり。 |
670 | 668 |
31
草子=綴じ本
41
まほりをえて=「食べ終えて」のことか
14 | 一。にら・き・ひる・ししをくひて、かう(香失)せ候はずとも、つねに念仏は申候べきやらん。 答。念仏はなににもさはらぬ事にて候。 |
648 | 650 |
16 | 一。一七日・二七日なんど服薬し候はんに、六斎の日にあたりて候はんをば、いかがし候べき。 答。それちからおよばぬ事にて候。さればとて罪にては候まじ。 |
649 | |
23 | 一。時し候は功徳にて候やらん。かならずすべき事にて候やらん。 答。時は功徳うる事にて候也。六斎の御時ぞさも候ひぬべき。又御大事にて御やまひなんどもおこらせおはしましぬべく候はば、さなくとも、ただ御念仏だにもよくよく候はば、それにて生死をはなれ、浄土にも往生せさせおはしまさんずる事は、これによるべく候。 |
650 | 651 |
38 | 一。尼の服薬し候は、わろく候か。 答。やまひにくふはくるしからず、ただはあし。 |
653 | 654 |
73 | 一。服薬のわたは、あらひ候はざらんはいかが候。 答。くるしからず。 |
658 | 658 |
77 | 一。ひる・ししは、いづれも七日にて候か。又しし(鹿)のひ(干)たるは、いみ(忌み)ふかしと申候は、いかに。 答。ひるも香うせなば、はばかりなし。ししのひたるによりて、いみふかしといふ事はひが事。 |
659 | 659 |
80 | 一。『法華経』一品よみさして、魚くはずと申候は、いかに。 答。くるしからず。 |
||
82 | 一。時にまめ・あづきの御れうくはずと申候は、ま事にて候か。 答。くるしからず。 |
660 | |
84 | 一。信施をうくるは、つみにて候か。 答。つとめしてくふ僧はくるしからず、せねばふかし。 |
||
85 | 一。神のあたりの物くふは、くちなわと申候は、いかに。 答。禰宜・神主は、ひとへにその身になるにこそ、さらぬがすこしくはんはおもからじ。 |
||
86 | 一。僧の物くひ候も、つみにて候か。 答。つみうるも候、えぬも候。仏のもの、奉加結縁の物くふはつみ。 |
660 | |
87 | 一。大仏・天王寺なんどの辺にゐて、僧の物くひて、後世とらんとし候人は、つみか。 答。念仏だに申さば、くるしからず。 |
||
88 | 一。時するあした(朝)、御れう(料)あまたにむかふはいかが候。 答。くるしからず。 |
||
89 | 一。時のつとめてみそうづ、いかに。 答。くるしからず。 |
||
94 | 一。わが心ざさぬ魚は、殺生にては候はぬか。 答。それは殺生ならず。 |
661 | 661 |
95 | 一。服薬のずすは、あらひ候べきか。 答。あらひあらはず、くるしからず。 |
||
97 | 一。六斎に、にら・ひる、いかに。 答。めさざらんはよく候。 |
662 | |
98 | 一。時のくひ物は、きよくし候べきか。 答。れい(例)の定、行水も候まじ、かねて精進も候まじ、ひき(引き入)れも、ただのおりのにて候べし。時の誦文も女房はせずとも、ただ念仏を申させ給へ。さ(指)したる事ありて、時をか(欠)きたらば、いつの日にてもせさせ給へ。 |
||
100 | 一。時のさばには、あ(菜)を具し候べきか。時の散飯をば、屋のうゑにうちあげ候べきか、かはらけ(土器)にとり候べきか、わ(我)がひき(引き入)れのさら(皿)にとり候べきか。 答。いづれも御心。 |
||
113 | 一。魚鳥くひては、いかけして、経はよみ候べきか。 答。いかけしてよむ本体にて候。せでよむは、功徳と罪と、ともに候。ただしいかけせでも、よまぬよりは、よむはよく候。 |
664 | 663 |
115 | 一。大根・柚はおこなひにはばかりと候と申は、いかに。 答。はばかりなし。 |
||
122 | 一。ひる・ししくひて、三年がうちに死候へば、往生せずと申候は、ま事にて候やらむ。 答。これ又きわめたるひが事にて候。臨終に五辛くひたる物(者)をばよせずと申たる事は候へども、三年までいむ事はおほかた候はぬ也。 |
665 | 664 |
132 | 一。時のおりの誦文は、かくし候べしと申候。御らんのためにまいらせ候。 答。時のおりも、ただ念仏を申させ給へ。女房は誦文せずとも。 |
667 | 665 |
14
にら・き・ひる・しし=韮・葱・葫・鹿
ひる葫=にんにく・おおびる
38
薬食い=保温保健のために鹿や猪などの肉を食べること。
82
れう=料。材料
85
くちなわ=蛇
89
つとめて=早朝。御衣(みそ)打つ=たたいて布の光沢を出す。の意味か。
100
さば=散飯・生飯。食事の時に飯を少し取り分けて、鬼神に供え、また食後に施餓鬼の供養として鳥や獣に施すもの。
113
いかけ=い掛け=声に出す
57 | 一。さけのむは、つみにて候か。 答。ま事にはのむべくもなけれども、この世のならひ。 |
656 | 656 |
58 | 一。魚・鳥・鹿は、かはり候か。 答。ただおなじ。 |
656 | 656 |
112 | 一。酒のいみ、七日と申候は、ま事にて候か。 答。さにて候。されどもやまひには、ゆるされて候。 |
664 | 663 |
36 | 一。七歳の子し(死)にて、いみなしと申候はいかに。 答。仏教にはいみといふ事なし、世俗に申したらんやうに。 |
653 | 654 |
125 | 一。産のいみいくか(幾日)にて候ぞ、又いみもいくかにて候ぞ。 答。仏教には、いみといふ事候はず、世間には産は七日、又三十日と申げに候。いみも五十日と申す、御心に候。 |
666 | 665 |
123 | 一。厄病やみて死ぬる物、子うみて死ぬる物は、つみと申候はいかに。 答。それも念仏申せば往生し候。 |
666 | 664 |
140 | 一。臨終の時不浄のものの候には、仏のむかへにわたらせ給ひたるも、返らせ給ふと申候は、ま事にて候か。 答。仏のむかへにおはしますほどにては、不浄のものありといふとも、なじかは返らせ給べき。仏はきよき・きたなきの沙汰なし。みなされども観ずれば、きたなきもきよく、きよきもきたなくしなす。ただ念仏ぞよかるべき。きよくとも念仏申さざらんには益なし。万事をすてて念仏を申すべし。証拠のみおほかり。 |
669 | 667 |
36
『拾芥抄』下「服忌部」(新訂増補「故実叢書」476頁)
「或いは抄じて云く、八歳以後は服暇あるべし。七歳以前の者は夭亡之時、傍の親は服暇あるべからず。于の二親に至りては、本服三月、服暇三日。」(両親は喪に服するが、傍系の親族はその必要がない)
125
「仏教では忌みということをいわないが、世間では産穢は七日とか三十日とか、死穢は五十日といっているようだ。お心にまかせて適当にはからいなさい。」
123
疫病死・産死をするのは罪業深きことで、そのような死者は往生できないばかりか、怨霊となって災いをもたらすと信じられていたのだろう。疫病の不安におののくもの、出産に不安をいだく妊婦との対話であったのだろう。師は「念仏行者にはそのようなことを怖れることはない」と言葉をかけられたのだ。
念仏するものにとって死は往生浄土であり、煩悩が寂滅して涅槃に入ることだから不浄ではない。しかし、仏教でも四十九日の中陰中は潔斎し、身を慎んで故人をしのぶという風習もあるのだから、一概に服喪の儀礼を否定するということはなかったようである。
125 | 一。産のいみいくか(幾日)にて候ぞ、又いみもいくかにて候ぞ。 答。仏教には、いみといふ事候はず、世間には産は七日、又三十日と申げに候。いみも五十日と申す、御心に候。 |
666 | 665 |
79 | 一。子うみて、仏神へまいる事、百日はばかりと申候は、まことにて候か。 答。それも仏法にいまず。 |
659 | 659 |
10 | 一。百日のうちの赤子の不浄かかりたるは、物まうでにはばかりありと申たるは。 答。百日のうちのあか子の不浄くるしからず、なにもきたなき物のつきて候はんは、きたなくこそ候へ、赤子にかぎるまじ。 |
648 | 649 |
10
「汚き物(うんこ・おしっこ)がついて汚いのは、赤ちゃんに限らないじゃないか。」と、神道の禁忌の観念を超えさせようとされている。
75 | 一。月のはばかりの時、経よみ候はいかが候。 答。くるしみあるべしとも見へず候。 |
658 | 658 |
78 | 一。月のはばかりのあひだ、神のれうに、経はくるしく候まじきか。 答。神やはばかるらん、仏法にはいまず、陰陽師にとはせ給へ。 |
659 | 659 |
28 | 一。女房の聴聞し候に、戒をたもたせ候をやぶり候はんずればとて、たもつとも申候はぬは、いかが候べき。ただ聴聞のにわにては、一時もたもつと申候が、めでたき事と申候は、まことにて候か。 答。これはくるしく候はず、たとひのちにやぶれ候とも、その時たもたんとおもふ心にて、たもつと申すはよき事にて候。 |
652 | 653 |
50 | 一。説経師は、つみふかく候か。又妻にならん物も、つみふかしと申候は、ま事にて候か。 答。本体は功徳うべく候に、末世のはつみえつべし。妻にならんものは、つみ。 |
655 | 655 |
101 | 一。女のものねたむ事は、つみにて候か。 答。世世に女となる果報にて、ことに心うき事也。 |
662 | 662 |
133 | 一。女房の物ねたみの事、さればつみふかく候な。 答。ただよくよく一心に念仏を申させ給へ。 |
667 | 666 |
110 | 一。精進の時つめきらぬと申、又女にかみそらせぬと申候、いかに。 答。みなひが事。 |
664 | 663 |
女人について法然聖人は、仏教内外での性差による価値判断を一旦受け入れた上で、男女を簡ばず念仏往生することを説いていかれた。よく注意してお読みください。
49 | 一。神に後世申候事、いかむ。 答。仏に申すにはすぐまじ。 |
655 | 655 |
85 | 一。神のあたりの物くふは、くちなわと申候は、いかに。 答。禰宜・神主は、ひとへにその身になるにこそ、さらぬがすこしくはんはおもからじ。 |
660 | 659 |
96 | 一。千手薬師は、ものいませ給ふと申、いかに。 答。さる事なし。 |
661 | 661 |
64 | 一。いみの日、物まうでし候はいかに。 答。くるしからず、本命日も。 |
657 | 657 |
130 | 一。いみの物の、ものへまいり候事は、あしく候か。 答。くるしからず。 |
667 | 665 |
131 | 一。物まうでして、返さにわがもとへ返らぬ事はあし。又魚鳥にやがてみだれ候事、いかに。 答。熊野のほかはくるしからず。 |
96
千手観音や薬師如来、つまり仏・菩薩に参詣するときも、神道的な禁忌をしなければ効験がないという俗説があったのだろう。
64,130
日忌は本命日・重日・復日・衰日・欠日などの凶日。本命日はその人の生まれ日で、例えば甲子の日に生まれた人は甲子の日が本命日。その日は六十一日目に巡ってくるので、年に六度本命日がある。この日は諸事忌慎すべき凶日とされた。
92 | 一。念仏を行にしたる物が、物まうでは、いかに。 答。くるしからず。 |
661 | 660 |
93 | 一。物まうでして、経を回向すべきに、経をばよまで、念仏を回向する、くるしからずと申候は、いかに。 答。くるしからず。 |
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118 | 一。物まうでし候はんに、男女かみあらひ、せめてはいただきあらふと申候は、ま事候か。 答。いづれもさる事候はず。 |
665 | 664 |
120 | 一。八専に、物まうでせぬと申は、ま事にて候か。 答。さる事候はず、いつならんからに、仏の耳きかせ給はぬ事の、なじか候べき。 |
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121 | 一。灸治の時、物まうでせず、そのおりのき物も、すつると申候は。 答。これ又きはめたるひが事にて候。ただ灸治をいたはりて、ありきなんどをせぬ事にてこそ候へ。灸冶のいみある事候はず。 |
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135 | 一。物へまいり候精進、三日といふ日まいり候べきか、四日のつとめでか。 答。三日のつとめでまいる。 |
667 | 666 |
136 | 一。物こもりして候に、三日とおもひ候はんは四日になしていで、七日とおもひて候はんは八日になしていで候べきか。 答。それは世の人のせんやうに。 |
668 |
120
八専とは陰陽道の禁忌。陰暦で壬子(みずのえね)の日から癸亥(みずのとい)の日までの十二日間のうち、四日の間日を除いた八日のこと。一年に六回あり、雨が多く、嫁取り、造作、仏事などに忌まれた。仏の耳の聞こえ給わない日はないのだから、参詣して悪い日はない、と答えられた。
139 | 一。現世をいのり候に、しるしの候はぬ人はいかに候ぞ。 答。現世をいのるに、しるしなしと申事、仏の御そらごとには候はず、わが心の説のごとくせぬによりて、しるしなき事は候也。さればよくするにはみなしるしは候也。観音を念ずるにも、一心にすればしるし候。もし一心なければしるし候はず。むかしの縁あつき人は、定業すらなを転ず、むかしもいまも縁あさき人は、ちりばかりものくるしみにだにもしるしなしと申て候也。仏をうらみおぼしめすべからず。ただこの世、のちの世のために仏につかへむには、心をいたし、ま事をはげむ事、この世もおもふ事かなひ、のちの世も浄土にむまるる事にて候也。しるしなくば、わが心をはづべし。 |
668 | 666 |
問いが浄土教以前のレベルなので、それに応じて、観音信仰の現世利益と同じレベルで話を進め、次第に浄土願生へと誘引している。現世祈祷を否定せず、仏を恨む心を持たないようにして対応されていった。
76 | 一。申候事のかなひ候はぬに、仏をうらみ候、いかが候。 答。うらむべからず、縁により信のありなしによりて利生はあり、この世、のちの世、仏をたのむにはしかず。 |
659 | 658 |
119 | 一。仏をうらむる事は、あるまじき事にて候な。 答。いかさまにも、仏をうらむる事なかれ。信ある物は大罪すら滅す、信なき物は小罪だにも滅せず、わが信のなき事をはづべし。 |
665 | 664 |
又善導の『往生礼讃』に、「問ていはく、阿弥陀仏を称念礼観するに、現世にいかなる功徳利益かある。こたへていはく、阿弥陀仏をとなふる事一声すれば、すなはち八十億劫の重罪を除滅す。又十往生経にいはく、もし衆生ありて、阿弥陀仏を念じて往生をねがふものは、かのほとけすなはち二十五の菩薩をつかはして、行者を護念し給ふ。もしは行もしは坐、もしは住もしは臥、もしはよるもしはひる、一切の時、一切のところに、悪鬼・悪神をしてそのたよりをえしめ給はずと。又観経にいふごときは、阿弥陀仏を称念して、かのくにに往生せんとおもへば、かの仏すなはち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩をつかはして、行者を護念し給ふ。さきの二十五の菩薩の、百重千重に行者を圍繞して、行住坐臥をとはず、一切の時処に、もしはひるもしはよる、つねに行者をはなれ給はず」と。又(礼讃)いはく、「弥陀を念じて往生せんとおもふものは、つねに六方恒沙等の諸仏のために護念せらる。かるがゆへに護念経となづく。いますでにこの増上縁の誓願のたのむべきあり、もろもろの仏子等、いかでか心をはげまざらんや」といへり。
かの文の心は、弥陀の本願をふかく信じて、念仏して往生をねがふ人をば、弥陀仏よりはじめたてまつりて、十方の諸仏・菩薩・観音・勢至、無数の菩薩、この人を圍繞して、行住坐臥、よる・ひるをもきらはず、かげのごとくにそいて、もろもろの横悩をなす悪鬼・悪神のたよりをはらひのぞき給ひて、現世にはよこさまなるわづらひなく安穏にして、命終の時は極楽世界へむかへ給ふ也。されば念仏を信じて往生をねがふ人、ことさらに悪魔をはらはんために、よろづのほとけ・かみにいのりをもし、つつしみをもする事は、なじかはあるべき。いはんや仏に帰し、法に帰し、僧に帰する人には、一切の神王、恒沙の鬼神を眷属として、つねにこの人をまもり給ふといへり。しかればかくのごときの諸仏・諸神、圍繞してまもり給はんうゑは、又いづれの仏・神かありてなやまし、さまたぐる事あらん。又宿業かぎりありて、うくべからんやまひは、いかなるもろもろのほとけ・かみにいのるとも、それによるまじき事也。いのるによりてやまひもやみ、いのちものぶる事あらば、たれかは一人としてやみしぬる人あらん。いはんや又仏の御ちからは、念仏を信ずるものをば、転重軽受といひて、宿業かぎりありて、おもくうくべきやまひを、かろくうけさせ給ふ。いはんや非業をはらひ給はん事ましまさざらんや。されば念仏を信ずる人は、たとひいかなるやまひをうくれども、みなこれ宿業也。これよりもおもくこそうくべきに、ほとけの御ちからにて、これほどもうくるなりとこそは申す事なれ。われらが悪業深重なるを滅して極楽に往生する程の大事をすらとげさせ給ふ。ましてこのよにいか程ならぬいのちをのべ、やまひをたすくるちからましまさざらんやと申す事也。されば後生をいのり、本願をたのむ心もうすき人は、かくのごとく圍繞にも護念にもあづかる事なしとこそ善導はの給ひたれ。おなじく念仏すとも、ふかく信をおこして、穢土をいとひ極楽をねがふべき事也。かまえて心をとどめて、このことはりをおもひほどきて、一向に信心をいたして、つとめさせ給ふべき也。
法然聖人にとって現世利益の中心は、摂取の光益にあずかることである。諸仏・諸菩薩・諸天・善神等の護念はこの摂取の光益を開いたものであるといえる。
@仏、菩薩等の護念によって悪鬼神は寄りつけないから、悪鬼神が加えるとされている横悩はなくなり、臨終の障碍もなくなる。
Aそれゆえ念仏者はことさらに悪魔、鬼神をはらうために仏神に祈ったり、物忌みや禁忌を守ったりすることは不要である。祈って病が治り、寿命が延びるものならば、一人として病み死ぬ者はいないはずだ。
Bしかし仏には転重軽受の益を与える威神力がましまして、重く受けるべき病悩も、軽く受けさせ給うから、病気を受けたときは「これよりもおもくこそうくべきに、ほとけの御ちからにて、これほどもうくるなり」と領解せよ。
念仏者に与えられる現世の利益は、あくまでも「弥陀の本願をふかく信じて、念仏して、往生をねがふ人」に、如来の方から求めずして与えたもう益であって、行者が現世利益を祈って求めるものではない。
134 | 一。桐のはい、かみ(髪)につく(付)るは、仏神に申事のかなはぬと申候は、ま事にて候か。 答。そら事なり。 |
667 | 666 |
72 | 一。節ある楊枝をばつかはず、続帯・青帯・無文の帯するはいむと申候は。 答。くるしからず。 |
658 | 658 |
137 | 一。ずずには、さくら・くりいむと申候は、いかに。 答。さる事候はず。 |
668 | 666 |
124 | 一。子の孝養おやのするは、うけずと申候、いかに。 答。ひが事なり。 |
666 | 664 |
39 | 一。父母のさきに死ぬるは、つみと申候はいかに。 答。穢土のならひ、前後ちからなき事にて候。 |
653 | 654 |
42 | 一。わわくに物くるるは、つみにて候か。 答。つみにて候。 |
654 | 654 |
42
わわく=わめく。騒ぐ。「わめきさけぶ子に物を与えてご機嫌を取る」という意味か。
35 | 一。不軽のごとく人をおがむ事し候べきか。 答。このごろの人の、え心えぬ事にて候也。 |
653 | 654 |
常不軽菩薩のこと
52 | 一。妻、おとこに経ならふ事、いかが候べき。 答。くるしからず。 |
655 | 656 |
114 | 一。妻おとこ一つにて、経よみ候はん事、いかけし候べきか。 答。これもおなじ事、本体はいかけしてよむべく候。念仏はせでもくるしからず、経はいかけしてよみ候べし。毎日によみ候とも。 |
664 | 663 |
59 | 一。尼になりて、百日精進はよく候か。 答。よし。 |
656 | 656 |
106 | 一。尼の子うみ、おとこもつ事は、五逆罪ほどと申、ま事にて候か。 答。五逆ほどならねども、おもく見へて候。 |
663 | 662 |
107 | 一。尼法師、かみをおほす、つみにて候か。 答。三悪道の業にて候。 |
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116 | 一。尼になりたるかみ、いかがし候べき。 答。経の料紙にすき、もしは仏の中にこそはこめ候へ。 |
664 | 663 |
117 | 一。尼法師の、紺のきぬき候はいかに。 答。よに罪うる事にて候。 |
665 |
128 | 一。出家は、わかきとおひたると、いづれか功徳にて候。 答。老ては功徳ばかりえ候。わかきはなをめでたく候。 |
666 | 665 |
102 | 一。出家し候はねども、往生はし候か。 答。在家ながら往生する人おほし。 |
662 | 662 |
105 | 一。かみつけながら、おとこおんなの死候は、いかに。 答。かみにより候はず、ただ念仏と見へたり。 |
663 | |
138 | 一。法師のつみは、ことにふかしと申候は。 答。とりわき候はず。 |
668 | 666 |
53 | 一。還俗のものに、目を見あはせずと申候は、ま事にて候か。 答。さまでとかず、ひが事。 |
655 | 656 |
54 | 一。還俗を心ならずして候はんは、いかに。 答。あさくや。 |
656 |
6 | 一。一文の師をもおろそかに申候へば、習ひたる物の冥加なしと申候は、まことにて候か。 答。師の事はおろそかならず候。恩の中にふかき事これにすぎ候はず。 |
647 | 649 |
141 | 家のうちのもののしたしき・うときをきらはず、往生のためとおもひて、くひ物・き物た(ま)はんは、仏に供養せんとおなじ事にて候か。 答。したしき・うときをえらばず、往生のためとおぼしめして、物たびおはしまさん、めでたき功徳にて候。御つかひによくよく申候ぬ。 |
669 | 667 |
142 | 一。破戒の僧、愚癡の僧、供奉せんも功徳にて候か。 答。破戒の僧、愚癡の僧を、すゑの世には、仏のごとくたとむべきにて候也。この御つかひに申候ぬ、きこしめし候へ。 |
21 | 一。仏のなをもかき、貴き事をもかきて候を、あだにせじとて、やき候は罪のうるに、誦文をしてやくと申候は、いかが候べき。 答。さる反故やき候はんに、何条の誦文か候べき。おほかたは法文をば、うやまふ事にて候へば、もしやかんなんどせられ候はば、きよきところにてやかせ給ふべし。 |
650 | 651 |
48 | 一。聴聞ものまうでは、かならずし候べきか。 答。せずとも。中々わろく候。しづかにただ御念仏候へ。 |
655 | 655 |
74 | 一。よき物をき、わろきところにゐて、往生ねがひ候はいかが。 答。くるしからず、八斎戒の時こそ、さは候はめ。 |
658 | 658 |
81 | 一。ずす・かけをひかけずして、経をうけ候事は、いかに。 答。くるしからず。 |
659 | 659 |
83 | 一。ねてもさめても、口あらはで念仏申候はんは、いかが候べき。 答。くるしからず。 |
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108 | 一。経・仏なんどうり候は、つみにて候か。 答。つみふかく候。 |
663 | 662 |
109 | 一。人をうり候も、つみにて候か。 答。それもつみにて候。 |
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30 | 一。所作をかきて人にし入させ候は、いかが候べき。 答。さなくとも候ひなむ。 |
652 | 653 |
127 | 一。所作かきてしいれ、かねてかかんずるを、まづし候はいかに。 答。しいるるはくるしからず、かねては懈怠也。 |
666 | 665 |
51 | 一。麝香・丁子をもち候は、つみにて候か。 答。かをあつむるは、つみ。 |
655 | 655 |
91 | 一。聴聞は功徳え候か。 答。功徳え候。 |
661 | 660 |
私の読解力不足です。ごめんなさい。教えてください。
111 | 一。われも人も、さゑもんか(文書)く、罪にて候か。 答。すごさざらんには、なにか罪にて候べき。 |
664 | 663 |
参考文献『法然教学の研究』梯實圓和上著